中野翠おばさんがコラムに書いていた。
目下の悩みは記憶力の低下が著しいこと。
首から下はいまのところ踏ん張ってくれているが頭は順調(?)に劣化している。
そもそも知能指数は低いので処理能力は劣っているはずなのに若い頃は切れると勘違いしていた。
それが勘違いだと気がついたのは中年になってからでもっと愚直に生きればよかったと悔いた。
処理能力はダメでも記憶力はそこそこ自信があった。
今考えると唯一の武器だったかもしれない。
でも、それがここ数年急激に劣化した。
劣化は今も進行中だ。
ったく、やれやれです。
今年に入って読み散らかした本に中野翠「いくつになっても トシヨリ生活の愉しみ」がある。
翠おばさんのトシヨリ生活は楽し、というコラム集。
七十を過ぎて翠さんは思った。
「トシヨリってのは世間の中心からハズれた存在だけに、アナーキーであることが案外許されるんじゃないの? だから子供同様、大目に見て下さい」
自分も勤め人でもなく、子供もいないので翠さんと同じく人生の節目に欠ける。
次に節目が来るとしたら何だろう?と考えるとちょっと恐い。
アナーキーになって乗り切ろう、と思ってしまった。
かつて自分が社会の主力、中心にいたかどうかはかなり怪しいけど、
自分がもっとも活動量が多かった時期がコロナじゃなくて本当によかった。
(コロナがチャンスだと考えるポジティブな人になれるなら幸いですが)
この「いくつになっても」にも記憶力の劣化を嘆くコラムがあった。首から下はOKなのよ。問題は首から上。〜中略〜問題は頭ですよ。脳ですよ。この二三年、記憶力がめっきりと落ちた。忘れっぽくなった。特に人名を忘れがち。亡き赤瀬川源平さん流に言うなら「忘却力」がメキメキと上がった。例えば、映画について書いていて、何年か前に似たような映画があったなあと、その映画を引き合いに出そうと思っても、映画のタイトルだのスターだのを思い出せなかったりするのだ。「エーっ!?あんなに好きな映画だったのに!」「あんなに好きなスターだったのに!」と凄くショックです。つくづく「淀川長治さんは偉かった」と思う今日この頃。どういうわけか、スッと思い出せるスターと、何でも忘れてしまうスターとうのがあるんですね。さすがにエリザベス・テイラーとかオードリー・ヘップバーンとかアンソニー・パーキンスとかクリント・イーストウッドとかフレッド・アステアとか…子どもの頃に知ったスターの名前は忘れない。(今のところ)記憶の底の方に沈殿している名前は忘れないけど、記憶の上の方、つまり大人になってから知ったスターの名前は忘れがち。まさに「川の流れのように」記憶が流れ去って行くのよね。シッカリと定着しないというか沈殿しないというか。(太字はぷよねこがなるほどと思ったとこ)
まさにそうなのですよ。定着しない。
大丈夫なのは沈殿してる過去の記憶、川面に流れの速いとこの記憶はすぐにどっかへ消えてしまう。
確かにそんな感覚なのですね。特に名前がダメ。
昔の記憶でも同じく名前が出てこない。
名前以外の顔のイメージとか、当時流行っていた音楽とかの周辺情報はかすかに残ってる。
それを手がかりに名前にたどりつく作業は日常茶飯事。
どうしたらいい?
これはどーしようもないですね。(笑)
諦めるよりがんばって記憶へのアクセスを続けていこう。
バタバタと足掻いてやっと現状維持だけど、
川の流れに任せてしまうと大切な記憶も消えてしまいそうで。
“思い出” て実は人生において思ってる以上に大切なものだから。