とある用事でJR六甲道駅前の勤労市民センターへ行く。
とある用事というのはA部氏にビデオカメラを返却するという用事。
勤労市民センターでアメリカのベテラン(古参兵)の話を聞くという講演会を撮影するとのこと。
ベトナムへ従軍した女性兵士でご高齢なので体調不良で出席出来なくなったそう。
カメラだけ渡してイタリア土産のオルビエート産の白ワインをいただいた別れる。
阪急六甲、六甲道は大学を卒業してすぐの1982年頃から住み始めたところ。
二十代の街、追憶のエリアだ。
灘区、震災では震度7、家屋倒壊と火災で壊滅的な打撃を受けたエリアでもある。
でも、1980年代といまは地続きでもあることを歩くとトランプの神経衰弱のように照合できる。
駅北の区割りは大きく変わってはいない。(南側は激変)
追憶モードで水道筋商店街あたりまで歩いてみよう。
1980年代前半、僕は二十代半ばだった。
いま自分くらいの年齢の人にとって僕は、いまどきの若い人、だった。
そんな自分が六十代になった。
なんだか不思議な感覚。
いや、単に歳をとっただけだけど。
山手幹線を歩く。
このあたりにあったガスト(今は無い)で当時神戸大学の女子大生だった子と引き合わされた。
その夜は彼女の下宿に行き、朝までとりとめのない話をした。
世間知らずで寛容さはなく傲慢だった僕の話はさぞかし退屈だったろうと思う。
追憶モードはとめどもなく加速する。
都賀川沿いの公園のブランコ、リーフという六甲道のバー、よく飲んでいたバーボンロック、
その店で聞いたドゥービーブラザース、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、ビリー・ジョエル
酔うと歌った「渚のシンドバット」、ヌーベル六甲にあったレンタルレコード店…。
女子大生は卒業後に地元局のアナウンサーになり、今は参議院議員になった。
1960年生まれだから来年はもう還暦か…。
村上春樹の新作「ウィズ・ザ・ビートルズ」の冒頭にある。
歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。
かつては少年であった自分が、いつの間にか老齢といわれる年代になってしまったことではない。
驚かされるのはむしろ、自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になってしまっている……
とりわけ、僕の周りにいた美しくて溌剌として女の子たちが、
今ではおそらく孫の二、三人もいるであろう年齢になっているという事実だ。
神戸市灘区山手幹線を西へ歩きながら感じる。
あのころ、夜はもっと暗かった。
あのころ、風は冷たく、光は強く、女の子はクールで美しかった。
いまより風景の輪郭はくっきりとしてた。
それは錯覚に違いない。
こんなときにいつもランズデールの小説の一節を引用する。
数えたらもう10回以上書いている。
歳をとるにつれて…いや、正直に言えばまだ50代後半なのでたいした歳でもないのだが、
それでも過去の方が、現在よりも大切に感じられるようになった。
決していいことではないのかもしれないが、それは事実だった。
あのころ、物事にはずっと張りつめた空気があった。
日射しはずっと暖かかった。風は冷たく、犬はずっと賢かった。
(ジョー・R・ランズデール「ダークライン」より)
追憶モード全開。
久々にピーター・ボグダノビッチの「ラストショー」が見たくなった。
以下、写真日記で。