脚本家の山田太一さんのエッセイで読んだ一節を思い出す。
7年前の日記、僕は55歳だった。
山田太一の「六十代」というエッセイはこんな書き出しで始まる。
年齢が、面白い。
当たり前だが、三十代は三十代になれないと体験できない。
よくも悪くも二十代には想像もしなかったことを実感する。発見する。
四十代にも、五十代にも、その歳になってはじめて自分のものになる思考、発見、経験、感慨がある。
このあと、高橋新吉の「無意味」という詩に触れて短いながら読み応えがあり面白かった。
山田太一はすでに70代後半だがかなり前に書かれたエッセイらしく60代についてこう書かれている。
六十代に入って私は何度か町なかで立往生することがあった。
突然、ズシリと重い疲労に襲われる。歩けなくなる。
山田氏は街を歩きながら考えごとをしたりコーヒー店に入ったりするのが常だった。
五十代にもやってきた習慣だったのだが…。
実は今年55になった僕も兆候がある。
梅田や三宮あたりで街歩きをして、ある一定の時間ずっと立ったままでいると突然足が重くなる。
幸い立往生とまではいかないが、どこかに坐りたくなるのだ。
以前にはなかったこと。
(山歩きでは身体がそれなりの覚悟をしているのがそういうことはないが)
町なかで立往生した山田太一氏の話は他人事ではない。
あと5年で僕も六十代、あっという間にやってくるに違いないのだ。
町なかで立ち往生することは62歳の今もときどきある。
いかにも老人らしい症状だ。
止まっているのは自分だけで周りの人々は高速で移動している感じ。
取り残されている感覚。
でも、それは55歳のときと同じくらいの頻度かもしれない。
用心深くなっているせいだと思う。
無理はしない。
疲れるまで動くことにはしない。
50代はまだ自分は出来ると無理をしてしまってたのだ。
だからズシリとした疲労感。
60代になってギアの入れどころの要領がわかってきた。
決してうまくマネージメントが出来てるわけではないが概ねは。
それはそうとして…疲労感とは違う立ち往生がある。
何かをしよう、とは思っているのだが何も手をつけないまま数分、数十分が過ぎている。
あれ? オレ5分くらい何にもしてないな。
やるべきことはいくつかあってどれを優先しようかという判断ができないまま時間が過ぎる。
そんな感じだ。
いま町なかで立ち往生するのもそれと同じかもしれない。
どこかへ行こう。
行くべき場所は複数ある。
それをいい具合に順に並べることが即断できずに立ち止まっている。
脳のスペックが落ちてる?
思えば…若いときの僕ってその手の状況分析、判断、実行という作業がすばやく出来たのか?
そう問われたら、ノーだろう。
決して優秀じゃなかった。
スペックはそれほど変わらないのだ。
ただ脳内にもう使わないゴミファイルが溜まってて動きが悪くなってるに過ぎない。
なにか気晴らしになることでクリーンナップすればいい。
生きる知恵だ。
せめてそれくらいは進化している。
数分くらいの立ち往生は仕方ない。
若い頃もあった現象も加齢のせいに落としこんでため息をつく。
そんなときには「若いときだってたいしたことなかったよ」と納得させる。
かなしいけれど。
動けなく立ち往生したと自覚した時には…落ちこまずに…、
1. 若いときも同じだったと焦らず、
2. いったん何かの気晴らしをするか、昼寝をして、
3. 複数のタスクを書き出し、縦に並ばせて、
4. かんたんなことからひとつだけやり。
5. 出来ないことはタスクから外して、やりましょう。
いまなら…WEB記事を書くことと終活「断捨離」のことと遊び。
なーんだ、悩むほどのことじゃないな。
もうひとつ、きょうは自分の日じゃないなと思うことについて。
MLBの選手とかが何をやってもうまくいかない試合とかがあって、
「not my day (きょうは俺の日じゃない)」と思い、明日以降に切り替えるように、
出だしで躓くと捨てゲームみたいになる日がある。
というか、結構ある。
2日にいっぺんくらい?(笑)
そんなときは糸井重里さんの言葉を思い出す。
「出来ることの少ない日は、少なくなにかをする」
日記を振り返るとこの言葉でまとめている一日がなんと多いことか。
少なくなにかをする の検索結果 - ぷよねこ減量日記 new / since 2016
捨てゲームもまあ悪くないかと思う。
思うけど残り時間を考えるとうかうかしてはいられない。
太平洋と大陸の高気圧がせめぎ合い、日本列島は気圧の谷になる。
雲の多い一週間になるとの予報。
理想の夏2019を掲げてきたけどそんなにうまくはいかない。
体重も高止まり。
ジムトレもきょうで3日目。
ただ体調はそれほど悪くない。
エアコン頼みだけれど。
ジムトレのあと、カレーライスを食べ、Qさまを見る。
福井のナイター陸上の動画をWEBにアップする。
あっという間に1時近くになる。
きょうはほぼ少なく何かをする日でした。