雨はないけど梅雨空。
涼しくて梅雨寒(つゆざむ)。
平日のお昼前、自転車で7分、西宮浜の屋外バスケコートへ行く。
誰もいない。
ひとりで30分、フリースローをしてみた。
最初10本トライする。
あれ? リングまで届かない。
あれ? まっすぐいかない。
あれ? けっこう力いるわ。
中高年だから5号球にしたのに。
10本中最初の9本を外す。
10本目にダイレクトでゴールイン!
うれしい。
こいつらもついてきた。
ボールよりも小さいので見てるだけ。
涼しいので汗はかかないと思ってたけど大間違い。
シュートを外すたびにボールは自分で拾わなければならない。
50本近くシュートしたら結構な汗をかく。
無理なステップなんでせずに安全にやりましょう。
次はもう少し手前でゴールの確率を上げよう。
セルフィー動画を見た眼鏡堂氏に「下半身を使いましょう」とアドバイスをもらう。
ひざを使って距離を安定させましょう。
スリーポイントはまだまだ先だな。
午後から阪神電車で河内小阪駅へ行く。
陸上選手の取材の立ち合い、アドバイス役です。
女子中短距離のトップ選手、800のレースは面白くて、一度話を聞いてみたかった。
河内小阪駅前から徒歩18分で東大阪大学へ。
駅の北側は古い商店街とその商店街のビルが団地になっている。
日本全国どこにでもあるシャッター商店街。
昭和40年代前後は盛況だった街。
街にも青春時代があり、働き盛りの世代があり、老人の季節がある。
季節で言えば昭和40年代が夏、いまは晩秋を通り過ぎ冬。
お迎えを待っているような気配が漂う。
延命措置みたいなコンビニや全国チェーンの飲食店がまばらにある。
商店街の上が団地になっていて内側に中庭みたいなスペースがある。
平日の午後、誰もいない。
それほど古くはないけど遊具がさみしそう。
観光資源になりそうなレガシーとはほど遠いけど、同じ青春時代を過ごした仲間意識で愛おしい。
人の気配がしない団地。
長﨑の軍艦島の写真集を思い出した。
あるいはチェルノブイリとか、福島の双葉町とか。
大阪商業大学を通りすぎる。
702号線を渡ると北側はこんな路地が続く。
ザ・文化住宅 であります。
東大阪大学です。
川田大学と改名してもいいのでは?と思うほど看板選手。
東大阪大学そのものは2010年に創立したばかりで歴史が浅い。
国際〇〇とか、環太平洋〇〇とか、不相応なネーミングに比べ謙虚なネーミングで好感が持てる。
陸上部は付属の高校(というか高校が母体なのだけど)、大阪敬愛高校のグランドで練習している。
ところどころ凸凹のある土のトラックに白線を敷いて、
テントの下にビール箱などが並べれら、バーベルや鉄アレイが置かれたトレーニング場がある。
立命館や関学あたりとは全く違う野武士的な(笑)練習場で驚いた。
パっと見は建設現場か、野戦基地のようにも見える。
ここが高校の練習場だと思えばそうかなと納得する。
日本屈指のスプリンターはこの場所で育ち、今も鍛錬しているのだ。
「怪我は少ないです」とは七種競技の選手だったOGのコーチ。
僕ら取材する側は勝手に驚く。
こんなところで練習してたのか、と。
世界レベルの飛び込みの選手もそうだった。
でも高校野球や高校サッカーのグランドってそんなものだ。
クラブチームでもピンキリだろう。
「金メダリストの練習場」という写真集があったら見たいな、と思う。
世界は平等ではない。
それもある意味で弱者のモチベーションにもなってるのかも。
久々に花園ラグビー酒場へ行く。
前に来たのは去年の12月でした。
駅を出て北側へ出ると…あれ?
なんか風景が違う。
屋根がない!
ラグ酒は…?
あった。
お母さんによると3月にアーケードは撤去されたそう。
確かに老朽化してたもんな。
もしかして…このあたりは再開発?
かなりの確率でそうでしょうね。
河内小阪の駅北もそうだったし、ここ河内花園も、若江岩田も、東大阪の沿線の街はどこも
昭和の残滓をまとって、滅びを待っている感じがする。
同じ時代を生きた者(?)として親愛の情がわき、酒が進む。
ほぼ一ヶ月後のことです。