いくつの頃からだろう?
街に咲く季節の花を気にかけるようになったのは。
少なくとも独身の頃は春のサクラと夏のひまわりとアサガオくらいしか認知してなかった。
アカシアやクチナシやハナミズキは歌でしか知らなかった。
沈丁花や金木犀は消臭剤の香りとしてしか知らず、いつ咲いてどんな色の花かは知らなかった。
毎年、目にしているはずなのに夾竹桃や雪柳や白木蓮や辛夷は姿と形が一致してなかった。
結婚してよかったことのひとつは花の名前をおぼえたことだと思う。
気がつけばすっかり花の季節。
香櫨園駅北の沈丁花も咲き始めた。
梅も、菜花も、もうすぐ雪柳も、木蓮も、辛夷も、満を持してサクラも咲く。
2019年の冬はゆるく、暖冬として記録されるだろう。
今年は一面の雪景色を見ないまま春を迎えそうだ。
見ようと思えば見られた。
出不精になってるのかも、寒がりになってるのかも、多分行けば気分は晴れるのに。
そういうことが積み重なるのが加齢だと思うとかなしい。
まだ三月、雪景色 見よう。
部屋の壁のカレンダーが貼りかわった。
「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る。
(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」
蔡國華という画家がライオンの月に描いたのは大柄なピアニスト。
http://www.a-kukan.com/cai/
ラグビーのロックみたいな巨体、けれど絵から聞こえてくるのは
シングルトーンの繊細で叙情的なバラード。
巨体のジャズピアニスト、というと誰だろう?
巨体のサックス奏者ならすぐに思い浮かぶのだけれど。
ああ、そういえば彼が…といつか思い出すのだろうな。
西直樹というピアニストもそうかもしれない。
高橋達也のリーダーアルバムで若きパートナーとして演奏したアルバムを思い出す。
若くて破滅的なイメージがあったが、今、検索するとそんな巨体でもないし、破滅的でもない。
人に記憶は当てにならない。
夕方、西宮ガーデンズのフードパークで待ち合わせて、ライブコンサートへ行く。
フードコートではヒロが北極星のオムライス、僕はローストビーフカレーを食べた。
うーむ、あえてオーケストラにしなくても良かったなあというのが本音。
ポップスや歌謡曲にフルオーケストラはしっくりこない。
ご贔屓の手嶌葵はいつものように緊張して声が出ない。
八神純子は還暦を迎えても声は出てるのだけどオーケストラとリズムが合わない感じがした。
ヴァイオリンの川井郁子と、シャーマン的な歌唱の元ちとせは楽しめた。