やるべきことはあるのに今日はなかなかエンジンがかからない。
朝は好きなように過ごすことにする。
いつもそうしてるけど…。
そしたら本当にダラダラしてしまう。
昼前になって少しだけ走ろうと思い走り出す。
そういえば ほぼ日の「今日のダーリン」にこんなことが書いてあった。
旅は、お風呂と同じです。
お風呂も、入る前はついついぐずぐずします。
入りたくないとは言わないけれど、めんどくさがる。
でも、いったんお湯にからだを沈めたら、
めんどくささなんか忘れて、よかったなぁと思います。
目を閉じてためいきをついたりさえします。
ジョギングとか、筋トレとかもそうだよな。
めんどくささという敷居をちょっと跨げば済む話しなんだけどね。
夙川沿いの梅にウグイス色の鳥が…!
枝から枝へ、花から花へ、ちょこまかしてよく動く。
人間のスケールであれだけ動いたらどんだけの消費カロリーなのか。
メモ:梅にうぐいす? メジロでした。
ヒストリエ Aqua Walk iMovieと格闘 しくみがわかってきた
公園に遊びに行ったときとか。
こどもが、いっしょに水飲み場に行こうというのに、
直線的にそこに行くのではなくて、くるくると、
行って戻って行って戻って、何往復もするでしょう。
あれを、ケビン山崎さんは「基礎代謝量が高い」と
表現していました。
ぼくは、なるほどなぁ、と思いました。
犬と遊んでいるときにも同じことを感じます。
動いて遊ぶことそのものがたのしい、という行動。
大人は、そういうことをしなくなっています。
やるとしたら、目的を数字で決めてそれを実現します。
「元気だ」っていうことは、余るようなことをすること、
そんな気がするんですよね。
明石家さんまさんの話は、基礎代謝量が高いというか、
ほんとうに「元気」ですよね。
水飲み場まで何往復しているこどものような話し方です。ぼくの「元気の定義」というのは、ずっとこれでした。
こんなふうにありたいと思っても、これは無理です。
大人にとって、これは躁状態みたいなものだと思います。
きっと、止まったらとたんに疲れて倒れる「元気」です。もっと、大人でも自然にできる「元気」はないか。
ときどき、そういうテーマで考えてきたのですが、
とうとう、見つけましたよ。
大人でも、子どもでも、おねぇさんでもおじいさんでも、
「元気」を感じられるのは、こういうことです。「朝ごはんがたのしみ」な毎日を過ごしている。
昼でも夜でもなく、目覚めて朝の、ごはんがたのしみ。
それほど豪華である必要はない、基本的な食事ですよね。
それを、ちゃんとお腹を空かせて、おいしく食べる。
しかも、時間に追われず、おちついて食べている。
そして、もちろん、よく眠ったに決まってます。
こういう人を「元気」っていうんじゃないかな、と。
ぼくらは、朝めしを、たのしみにできるように、
日々を過ごすことが問われているのではないか。
なりたいなぁ、こういう元気な人に。
あなたは、どうですか、朝ごはん、たのしみですか?
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まずは、ぼくの場合はもっと早寝するところからですね。(ほぼ日「今日のダーリン」2019/2/22)