「大恋愛〜僕を忘れる君と〜」の最終回を観た。
海辺でシンジ(ムロツヨシ)が自分の小説を読み聞かせるところで少し泣いた。
すべてを忘れてしまった尚(戸田恵梨香)だったが、あるとき数分だけ記憶がよみがえる。
病気なので調子に波がある。
一時的に調子がいいときもあるのだ。
かつて「レナードの朝」という映画でそれと同じシーンがあった。
ロバート・デニーロ演じるレナードがあるとき正気を取り戻すのだ。
そして、また波のように…遠くへ去ってゆく。
かなしみが前より深まる。
この世界が美しく、愛おしく感じられるのは、いつかすべてが忘れられてしまうからだ。
哀しい話ではないけれど、去年見た映画「天然コケッコー」で女子中学生のそよ(夏帆)がつぶやく。
「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」
「大恋愛」でシンジが朗読するのは第一回の最初のナレーションでもあった。
彼女はあの頃から、いつも急いでいた。
まるでなにかに追われるように、いつもいつも走っていた。
人は誰しも、残りの持ち時間に追われている。
そして死に向かって走っている。
だからと言って、そのことを普段は意識しないものだ。
でも彼女は違った。
生まれた時から残り少ない持ち時間を知っているかのごとく、全力で走っていた。
若年性アルツハイマーとかでなくても、そろそろいろんなことが消えていく年齢になった。
まだ少し早いだろうけど、そんな時代の暗闇くらいは見えている。
子供もいないし、孫もいない。
この世を去る、というフィニッシュの前に残っている人生のイベントを思う。
壊れてゆくこと、忘れてゆくことだろうか。
残っているイベントはこころと身体の崩壊。
「人生とは崩壊の過程である」(ゼルダ・フィッツジェラルド「こわれる」)
ドラマそのものから受けたリリカルなかなしみとは別に、そんなことを思ってしまった。