ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2019/1/19 いつか誰もがすべてを忘れて去ってゆく

「大恋愛〜僕を忘れる君と〜」の最終回を観た。

海辺でシンジ(ムロツヨシ)が自分の小説を読み聞かせるところで少し泣いた。

すべてを忘れてしまった尚(戸田恵梨香)だったが、あるとき数分だけ記憶がよみがえる。

病気なので調子に波がある。

一時的に調子がいいときもあるのだ。

かつて「レナードの朝」という映画でそれと同じシーンがあった。

ロバート・デニーロ演じるレナードがあるとき正気を取り戻すのだ。

そして、また波のように…遠くへ去ってゆく。

かなしみが前より深まる。

 

この世界が美しく、愛おしく感じられるのは、いつかすべてが忘れられてしまうからだ。

哀しい話ではないけれど、去年見た映画「天然コケッコー」で女子中学生のそよ(夏帆)がつぶやく。

「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」

 

「大恋愛」でシンジが朗読するのは第一回の最初のナレーションでもあった。

彼女はあの頃から、いつも急いでいた。

まるでなにかに追われるように、いつもいつも走っていた。

人は誰しも、残りの持ち時間に追われている。

そして死に向かって走っている。

だからと言って、そのことを普段は意識しないものだ。

でも彼女は違った。

生まれた時から残り少ない持ち時間を知っているかのごとく、全力で走っていた。

若年性アルツハイマーとかでなくても、そろそろいろんなことが消えていく年齢になった。

まだ少し早いだろうけど、そんな時代の暗闇くらいは見えている。

子供もいないし、孫もいない。

この世を去る、というフィニッシュの前に残っている人生のイベントを思う。

壊れてゆくこと、忘れてゆくことだろうか。

残っているイベントはこころと身体の崩壊。

「人生とは崩壊の過程である」(ゼルダ・フィッツジェラルド「こわれる」)

ドラマそのものから受けたリリカルなかなしみとは別に、そんなことを思ってしまった。

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