ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2018/4/15 ヴィジョンこそ力

午前中は雨が残りうすら寒い不穏な春の空です。

陸上100mの記録会を気にしつつ、自宅で朝を過ごす。

【速報動画】多田修平 記録更新なるか!<4月15日@大阪 ヤンマースタジアム長居> | あすリートチャンネル

 

家ランチはなんとフレンチ!

3枚におろしたイサキのソテー、ソースは和風ですが。

美味しかった。

白ワイン飲みたい。

日本酒にも合いそう。

田中陽希の「日本三百名山グレートトラバース」を見ながら食べる。

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きょうは西宮市長選、市議補欠選だった。

子供じみた市長が辞任した。

それを受けての市長選だけど盛り上がりに欠けた。

でも選挙には行きました。

 

「その間、ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。」

内田樹先生が自著「街場の憂国論」のあとがきに暗いトーンでそう記している。

ときどきこんな賢者の言葉に触れ、溜飲を下げたい。

 

「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこ

簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。

その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、

2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、

2017年には共謀罪が制定されました。


そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いた

ディストピアに近い社会が現実化してきました。


その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。

ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための

国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。

でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、

今は再び政局が流動化しております。

ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。

そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話とし

「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

率直に言って日本は急激に国力が衰えています。

国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。

国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。


「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについて

国民的な「夢」のことです。

かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。

でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。

そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。

そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。

「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。

その順逆を間違えてはいけません。
日常の動作と同じです。

ある動作を達成しようとする(ドアノブを回すとか、包丁でネギを刻むとか)。

そのごく限定的な「はたらき」のためにさえ全身が一つ残らず動員されます。

ドアノブを回すだけのような単純な動作でさえ、ノブを視認し、手触りを確かめ、

回転させ、解錠する「かちり」という音に聞き耳を立て・・・

という動作を成り立たせるためには五感のみならず、重心の移動も、腰の回転も、

呼吸の制御も、すべてが参加します。

すべてが「ドアノブを回す」という目的があるおかげで整然と、

みごとに調和した連携プレーを果たす。


目的がなければ身体は動きません。

動かないから、そこに身体があるということさえ実感されない。

それは「身体がない」というのと同じことです。
 

 

三選が現実にならないように切実に願う。

それから先のことはわからないけど。

この文章を読んで一番胸に迫ってきたのは

 

  国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。

  国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。


  「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについて

  国民的な「夢」のことです。

  かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。

 

そう「ヴィジョン」という言葉でした。

国を自分に置き換える。

問いかける。

 

生きてるだけで丸儲けの60代をどんなヴィジョンで過ごすか。

住まい(日常)を優先するか、旅(非日常)を優先するか。

持ち物はどう処分するかも同時に考えたい。

 

 

今日も、“少なくなにかをする。” 日になる。

選挙へ行く。

ATM でお金を引き出す。

図書館へ予約していた本をピックアップ行く。

予算の運用計画(予算案)を立てる。

Jog&Walkをする。

十分だね。

欲張るな。


酒蔵通りのハナミズキが満開だ。

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夕方5時半から走り出す。

傾めからの光が新緑を透かす。

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芦屋中央公園の八重桜も落花盛ん。

きょうは肌寒いけど、巻き巻きの季節進行は止まらない。

去年の今頃はまだソメイヨシノが満開に近かったのだ。

puyoneko2016.hatenablog.jp

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若い世代には申し訳ないが、下り坂を歩いている自分たちの世代には

以下の言説(内田樹氏のあとがき)は心の座りがいい。

申し訳ないが若い世代にも悪いことばかりじゃないと思うので頑張って下さい。

 

世界中から「エコノミック・アニマル」という蔑称を投げつけられながらも、

日本は全国民が一丸となって達成した驚異的な経済成長によって、

ついに世界第二位の経済大国となりました。

経済力でアメリカに肉迫し、マンハッタンの摩天楼を買い、

ハリウッド映画を買うところまでゆきました。

バブル期には、アメリカから「国家主権を金で買い戻す」という奇想天外なプランが

ほとんど実現可能かと思われました。

でも、バブル崩壊によって、その夢は潰えます。


それから後の時代が「失われた20年」というふうに呼ばれます。

いずれ「失われた30年」になり、「失われた40年」になり・・・

年数がひたすら加算されてゆくことになるでしょう。


この喪失感は単なる経済力の喪失がもたらしたわけではありません。

日本が42年にわたって維持してきた「世界第二位の経済大国」というポジションを

中国に譲ったのは2010年のことです。

91年のバブル崩壊以後も20年の間、日本は世界でも例外的に豊かな国であり続けたのです。

でも、それにもかかわらず「夢」を失った日本人はどこに向かって進んでよいか

わからないまま失速し迷走を続けた。


2005年、小泉政権の時、日本は国連の安保理常任理事国になろうとして

みじめな失敗を喫しました。

その時に、国際社会から日本は「主権国家」だとみなされていないという

痛苦な事実を日本人は思い知らされました。

日本を支持することを拒んだ国々の論拠は

「日本が常任理事国になっても、アメリカの票が一つ増えるだけだから」

というものだったからです。

そして、その指摘に日本政府はひとことも反論することができませんでした。

2009年には「夢」を取り戻すために、起死回生の民主党への政権交代がありました。

でも、その鳩山政権は、米軍基地の縮小という「軍事的属国が口にしてはならないこと」

を言挙げしたとみなされて、日本国内の「対米従属勢力」から猛攻を受け、

四面楚歌のうちに瓦解してしまいました。


それから後はずっと仄暗い絶望感が日本を覆い続けています。

「日本を取り戻す」という安倍政権の回顧的なスローガンは

「日本にはもう未来がない」ということの言い換えに他なりません。

それはアメリカのトランプ大統領の掲げたMake America great again という

スローガンの「未来のなさ」とよく似ています。

アメリカ人も「このままでは未来がない。過去に還ろう」と思い始めている。

それが国力衰退の徴候だということに気づきながらも、風通しのよい、

向日的な未社会を描く想像力がもう作動しなくなった。

ロシアのプーチンや中国の習近平の「終身独裁者」システムの採用は、

それらの国々の政策決定者たちが「変化を恐れている」ことの徴候です。

未来に希望がないから変化を恐れるのです。

 

 

夜もしっかり食べてしまう。

辛挽肉焼きそばに目玉焼きのせ。

豆板醤を切らしていたのでちょっとパンチに欠ける。

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