2017年の秋は天候不順と、強引に進めた総選挙の秋として記憶されるのか。
今日も朝から今にも降り出しそうな空模様。
12日以降、青空を見たのは数時間しかない。
8月は東京や東北が天候不順だったらしいけど鬱陶しいなあ。
天気予報に晴れマークが並んでたりもするが、翌日には曇りマークに変わっている。
右肩の痛みは相変わらず、寝起きが痛む。
というか、寝てるときが痛む。
おそらく他にやることがなくて痛みが気になるのだろう。
部屋の扇風機を仕舞う。
背中がぞくっとするのでパーカーにダウンベストを羽織る。
ダウンベストって外へ着て行くことはほとんどないけど凄く便利だと思う。
軽くて暖かくて動きを邪魔しない。
午前中に内科クリニックへ行く。
雨は上がっていたが六甲、摩耶山方面には霧がまとわりつく。
「関ヶ原」(司馬遼太郎)を読んでいる。
家康の謀略が進行中、まさに現政権のやり方をシンクロする。
当時、地盤が万全で無かった大老家康に圧倒的な数、長期政権がもたらすものの恐さ。
権力に固執した政権が暴走する恐さを想像して怯える。
政敵を追うためのでっちあげ、マスコミの利用、厚顔無視、自分の手は汚さないやり口。
見たくないCMがテレビやネット上に強制的に登場する。
これを消せるアプリがあったら真っ先に買いたい。
国民投票になれば…勇ましい言葉を並べたプロモーション映像や、
あることないこと針小棒大に思わせぶりに表現したCM山ほど流れ続けるだろう。
ゲーリングの言葉が現実になる日。
刑務所に収容されている際、ゲーリングは、訪ねてきた米国人の心理学者グスタフ・ギルバートとの対話の中で
次のように語ったそうです。
ゲーリングは、肩をすくめて答えた。「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」
「しかし一つだけ違いがある。」と私(※ギルバート)は指摘した。「民主主義の下では、国民は選挙で選んだ代表を通して意見を言うことができるし、アメリカでは議会だけが宣戦布告できる。」
(ゲーリングは答えた。)
「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
衣類の断捨離を進めている。
もう還暦なのだから持ち物は少ない方がいい。
身軽に生きていきたい。
齢六十、もう決して若くない。
着るものについての心得を書いておこう。
かっこよくなること、見映えがよいことを目指すのはやめよう。
第一に、着ていて自分が気分いい、落ち着くと感じられること。
似合う似合わないは度外視してもいい。
第二に、清潔感。
汚れがなく、しわがなく(ヴィンテージ皺ではない)、洗い立てのような服を着ること。
第三に、所有する衣類の数を増やさないこと。
基準として、3年以上着ていない服は処分する。
また買って1年越して、今年着る気分になれないものがある。
なぜそれを購入したかを反省し処分する。
一着買ったら一着捨てる。
UNIQLOに行って去年買ってほとんど着なかった数着をリサイクル箱に処分した。
でも、このTシャツを買ってしまう。
スーピマコットンTシャツ 1000円(税別)となかなか高い。
松浦弥太郎さんのこの文章を読んだから。
ユニクロ|LifeWear Story 100 責任監修 松浦弥太郎|スーピマコットンT
一年仕舞っておいた冬物セーターを着ると目が痒くなる。
くしゃみが止まらなくなり、鼻水も出る。
典型的なアレルギー反応だ。
フリースのような化学繊維だと起こらない。
ウールや綿の天然繊維が少しでも混じっていると起こる。
ダニだろうか。
洗えば済むのだがセーター類は洗うのが大変だ。
掃除機で吸い取ったら少しはマシになるだろうか。