いまの日本列島で気持ちいい季節はいつだろう。
4月下旬から5月上旬、いわゆる初夏と10月下旬から11月下旬の今頃だろう。
気がつくと蒸し暑い夏や冷えこむ冬になってしまう。
若い頃から冬は嫌いではないが。
自分がいくつになった頃からだろう?
自分が何者にもなれなかったことを寂しく思うようになったのは。
人生のいろんな企画を立てても、もう実現出来ないのだと観念したのは。
四十、五十?
四十代はかろうじて持ち時間があると信じていたのだと思う。
五十代でそろそろ気がつく。
六十代になると企画を立てるのが億劫になる。
でも、まあ、なんだな。
林真理子の「下流の宴」って小説にあった老人の台詞を思い出す。
医者になるべく受験勉強をする珠緒が図書館で広瀬という老人と知り合う。
広瀬さんは「東大入試中止の年の一橋」に入り、すでに退職した。
関連会社の役員になることが決まっていたが権力争いに敗れ隠居の身となった。
家族からはいくじがないと呆れられ、図書館に通いぼんやりして暮らしている。
珠緒が言う。
「せっかくいい大学出たのに、なんかつまんないよね。
結局はさ、人って年寄りになって、いつかは死ぬんだよね。そう考えるとさー。東大とか
ヒトツバシ出てもさ、いつか人って、同じとこへ行くんだよねー」
(中略)
広瀬は苦笑いする。しかし、決して不愉快そうではない。
珠緒の反応を面白がっているのだ。
「だけど、僕はそうは思わないよ。絶対にさ」
「あれー、そうなの」
「だってそうだろ、タマちゃん。人間はさ、急に二十歳から、六十歳になるわけじゃない。
その四十年間でさ、いろんなことを経験するんだ。僕はね、世界中のいろんな所へ行ってさ、
楽しい経験をいっぱいした。うんとうまいものを食べたし、酒も一杯飲んだ。
あのね、どうせ惨めな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、
まるっきり違うと思うよ」
「そうかー、そうだよね」
「そうだよ。この頃さ、タマちゃんみたいな若い人たちがさ、
どうせ、人間行きつくとこは同じ、みたいなことを考えてるだろ。あれって嫌だね。
僕はさ、思い出に生きるつもりはないけどさ、四十年はうんと楽しんだ。
年とってからのことなんか考えなくてもいいんだ。
二十代からの四十年のことを考えて人間って若い時に頑張るんだよ……。
いや、なんか説教臭いこと言っちゃったね。
せっかくのタマちゃんのコーヒーブレイクなのにさ」 (345-346頁)
でも、まあ、なんだな。
そうなんだな。(笑)
ラグビーじゃないけど負けは負け、潔く認めなきゃね。
それなりに自由を楽しめた。
なのに嘆くのは卑しいね。
そんで、これからも楽しめばいいじゃん。
確かに自分は何者にもならなかったけどそこそこ幸福じゃん。
何者になれることと幸福であることとどっちが大切だろう?
何者かになれても不幸な人生だってあり得るんだし。
それにしてもこんなことを六十代になって思うとはね。
秋の青空の下でブロンプトンで街を走ることが小確幸のひとつであるように、
ちょっと肌寒くなった晩秋の宵に「よしむら」で燗酒を飲むこともひとつです・