2019/9/4 Wed. アンバーの景色の中で思うこと

「光がななめから当たるとたいていのものは美しく甦る。」

と書いたのは片岡義男だったか。

ニトリへ行こうとして自宅のドアを開けたら風景がアンバーに染まっていた。

何度も書くが若い頃はこんな景色を見ても感応してなかったんだろうな。

目の前の落日が一期一会なんて思わなかったし、世界は永遠に続くと信じてたし。

 

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整備された御前浜、去年の今日は台風の高潮で海に飲みこまれた。

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斜光線のマジック 御前浜のトイレでさえも映画のワンシーンのよう。

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六甲山の最高峰付近 雲の背景がいい。

この4月からゆるゆると断捨離を始めている。

もう趣味みたいなもので1年おきくらいにプチ断捨離してるような気がする。

いつのまにかモノが増えている。

富裕ではないけど、まあたいていのものは(低いレベル)で所有している。

当たり前だけど高級ブランドのスーツと車とかもともと欲しくはないものは持ってない。

それでも六十年以上人間やって40年近く働いているとたいていのモノはある。

捨ててもすぐに増える。

この春からの断捨離は今までとは違う覚悟で臨んでいる。

今まで捨てなかったものも捨てた。

捨てても何の後悔も起きないものだった。

愛読しているブログに最近こんなことが書いてあった。

ブログ主のタクさんは僕より少しだけ年上、60代半ばのようだ。

 

今年(2019年)の春から、断捨離をしている。
60代も半ばとなり、体力のある今のうちにやっておきたいと思ったからだ。
私の両親は大正生まれで、戦時中の物のない時代を経験していたので、
物を捨てることのできない世代の人であった。
だから、死後、実家には大量の物が残された。
遺品整理は子の役目であるが、これが実に厄介なのである。
今はプロの遺品整理屋もいるそうだが、
私の子供たちにそんな面倒はかけたくない。
家にある物は極力減らしておきたい。
断捨離で持ち物の8割くらいを捨てたいと思っているが、
断捨離を始めて半年近く経つが、6割ほどは処分できたと思う。
本当は2、3ヶ月でできると思ったのだが、意外と時間がかかるのだ。
今年中には断捨離を終え、
「いつでも死ねる」という状態を整えたいと思っている。

 

人は誰でも、
〈自分だけは簡単には死なない……〉
と、何の根拠もない自信を持っているものだが、
残念ながら、人は簡単に死ぬ。
私の配偶者の母親は、膵臓がんが見つかって1ヶ月半後に亡くなった。
67歳だった。
私の兄の妻は、直腸がんが見つかって1年半の闘病の後に亡くなった。
63歳だった。
病気が見つかったときには、もうすでに体力が奪われていることが多い。
それから生前整理をしようと思っても、気力さえ湧かないものだ。
病気にならなくとも、交通事故などあっけなく亡くなることもある。
そうなると一瞬だ。
断捨離をしている暇などない。

           (ブログ「一日の王」より)

 

 60代、いつ死んでも驚かれない年齢だ。

そう買いた人だ。

まさしく、そう思う。

8月にデスクの下に4つ置いてあるボックスに入っているのは、

・絵はがき、手紙、年賀状などの書簡類

・日記

・過去のスケジュールノート

・写真

20年くらい、少なくとも10年は見返すこともなかった。

読み返すこともないと思う。

4つのボックスを1つにまとめることは出来るなと思う。