2018/8/16 計画好き

ものごころついてから数十年、自分を振り返って思う。

ことを実行することより、計画を立てることに心血を注いで、

あげく、ことを実行する時間と体力と精神力を失ってきた半生だったと。

例えれば、計画するのに8時間かけて、実行するのは2時間。

それならいい方で、実行を見送ってしまうことも多々有り。

要するに計画することで終わってしまうのだ。

今さら気がついても遅い。

少しは達観することもあるけれど、少々のジタバタは覚悟の上、計画を楽しもう。

作家の宮下奈都さんがエッセイに書いていたことに僕は救われている。

彼女は書いた。

 

予定を立てるのが好きだ。無性に好きだ。

ひまさえあれば予定を立てている、というのはちょっと嘘で、

ひまの半分くらいを使って予定を立てている。

昔からそうだった。

夏休みの初日には朝からうきうきと一日がかりで休み中の予定を立てた。

一ヶ月半の予定表、週単位での予定表、そして一日の、分刻みでの予定表。

細かく計画しては修正し、たま組み直し、仕上がると満足し、安心して、寝た。

翌朝起きるともう予定表のことはすっかり忘れている。

今でも同じだ。

月の始めには必ず予定を立てる。

好きだからだ。

しかし、守るのは好きではない。

というより予定を立てるのが好きなのであって、その後は別にどうでもいい。

半年くらい経ってふと予定表を見ると、何ひとつやってなかったということもよくある。

立てるための予定表なのだ。

リストも、似ている。

つくるのが好きだった。

TO-DOリストはもちろん、読みたい本のリスト、会いたい人のリスト、好きな歌のリスト、

行ってみたい場所のリスト、ひとりでさまざまなリストとをつくって楽しんだ。

もちろんリストも予定表と同じ運命で、書いてしまえば満足して忘れてしまう。

守れなくても気にしなかった。

 

ところが、だ。

守れなかった予定は、刻一刻とずれが大きくなるばかりなのに、

守れなかったリストは時間が経っても生きている。

あら、あの頃はこんなものを食べたかったのね、

と笑って読み直せるという意味でもそうだけど、それだけではない。

リストに挙げた望みはけっこう叶っていたりする。

会いたい人に会えているし、行きたい場所に行けている。

いや、わたしの望みが小さいこともミソかもしれない。

もう死んでしまった人に会いたいと書くことはなかったし、

命の危険を伴うような場所に行きたいと願うこともなかった。

すると、忘れた頃にいくつか、いつのまにか叶っているのだ。

あやしい、と思われた方。ハイ。私もそのひとりです。

書けば叶う!なんてあやしいし、うさんくさいし。

そもそも叶えようと思って書くリストはむなしい。

しかし、書きたいと思ったリストにまつわる物語をだ。

(略)

        (宮下奈都「はじめからその話をすればよかった」より)

 リストにまつわる物語は宮下さんの手によって書かれ、すでに出版されている。

僕と同じではなく、実行も伴っている人なのだ。

そのリストにまつわる小説がこれです。

太陽のパスタ、豆のスープ (集英社文庫)

太陽のパスタ、豆のスープ (集英社文庫)

 

 

 てなわけで、今日は前日に何の計画も立てずに過ごしたので何をしたわけではない。

朝、グダグダと起きて、昨日は電車に長時間乗ったので疲れていると自己判断して、過ごした。

「出来ることを少なくなにかをする。」という程にも及ばず、一日を過ごした。

 

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