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2016/9/4 歩くような速さで

新聞や雑誌で見かける是枝監督のちょっとした文章が好きだった

「歩いても歩いても」のパンフに母親をすき焼きに連れて行った話が載っていた。

眼鏡堂氏から是枝監督が書いた著書があることを知って蔦屋書店で購入した、
たまたま、それが著者のサイン本だった。
相性がいい、と勝手に思いこんでいる。
是枝さんの文章のどこが好きかと問われても答えられない。
強いて言えば、溜飲が下がる、ということかも。
自分がそれとなく考えていることを、的確に、

これが大事なのだが、品性を損なわずに、表現してくれてる気がする。

 僕が勝手に思ってることだが、芯の強いリベラル指向がある。

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「歩くような速さで」は最近購入したサイン本ではない。
著作があると知って図書館で見つけた。
3年前の秋に出版された初のエッセイ集。
福岡の西日本新聞に連載された短いエッセイが中心になっている。
映画「奇跡」や「そして父になる」を撮っていた頃だ。

歩くような速さで (一般書)

歩くような速さで (一般書)

 

 

いくつか印象に残ったタイトルがある。

マイケル・ムーアのことを書いた 『「品性より怒り」の迫力』、
フランスのオランド大統領に福島原発で起きていることを伝えるまでの
是枝さんの心の動き、緊張と逡巡を描いたエピソード『安堵と後悔』

 

「自家用車」というタイトルも好きだ。
是枝さんが子どもの頃、是枝家では家族写真は自家用車の前で撮る、というのが恒例だった。
自家用車といっても是枝家のものではない。
他人の車の前で許可無しに撮るのだ。
あたかも自家用車のようなふりをして。

 

冒頭の『行間』もいい。
タイトルに惹かれ衝動買いした本を紹介する。
本のタイトルは「もうすぐ夏至だ」
永田和宏という細胞生物学者のエッセイ集。

永田さんの奥さんは進行性の乳がんで死期が迫りつつあった。
もうすぐ夏至だ、は永田氏が作った歌からとられている。

 

  一日が過ぎれば  一日減っていく
  君との時間 もうすぐ夏至だ     (永田和宏)

 是枝さんはこの歌に自分の映画と同じ表現形態があると書く。

  映画も、出来れば直接悲しいとか寂しいとかいわずに
  その悲しみをと寂しさを表現したい。
  文章でいうところの「行間」を有効に利用しながら、
  観る者の想像力によって補完してもらうことで
  映画に参加してほしいと、そう思いながら作っている。

 

いま若手の書いたナレーションを手直ししたりリライトしたりする仕事をしている。
同じことが言える。
ナレーションは事実を補完するだけでいい。
映像と主人公本人の言葉だけで表現したい。

 

巻末の「忘却」、その最後の3行を心に刻みたい。
津波や原発事故を済んだことを彼方に追いやり、
東京オリンピックに大騒ぎするメディアに珍しく怒りをこめて書いている。

 

 人間が人間であるためには、失敗も含めて記憶していくことが重要だ。
 それがやがて文化に成熟していくのだ。
 その時間を待たずして忘却を強要するのは、人間に動物になれと言うに等しい。
 それは政治やメディアが持ち得る最大で最低の暴力である。

 

次はこの本をじっくりと。

映画を撮りながら考えたこと

映画を撮りながら考えたこと

 

 

…残暑がきびしい。

いや、きびしいというより、しつこくてうんざりする。

今日はニュースデスク。

MacBookで作業をするつもりだったがバッテリー残量が13%しかない。

電源アダプターは自宅に置いたまま。

出来ることだけをする。

本城雅人「トリダシ」を読み始める。

スポーツ新聞記者の連作小説。

身近なのにテレビとは違う世界。

僕がプロ野球を取材し始めた頃の1988年にはまだ新聞とテレビも競っていた記憶がある。

門田博光さんの引退試合の日に日刊スポーツにスクープをとられて悔しい思いをした。

そんな記憶が蘇ってくる小説。

台風が明日にも長崎あたりに上陸する。