ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2017/3/31 雨桜

センバツ決勝は雨で順延となる。

六十代で初めての新年度。

こういうきっかけが大事だと思うが今日からしばらく忙しい。

だったら暇なときに考えたらいいのに…というちぐはぐなサイクルで数十年が経ってしまった。

いまさら落ちこむことはない。

忙しさが過ぎ去った時にすぐにスタートできるように準備しておけばいいのだ。

 

ハウスの Cook Do のCMで見て、これ食べたい! と言ったら…。

 

忘れた頃、我が家の食卓にどーんと出た。

自家製なので左右の麻婆豆腐は同じものです。

f:id:shioshiohida:20170331120210j:plain

 

すごい存在感。

浅蜊の味噌汁、ほうれん草おひたし、タケノコの天ぷらに玉葱炒め。

オニオンスライスにちょっと飽きてきたので炒めてもらう。

f:id:shioshiohida:20170331120339j:plain

 

きょうも「今日のダーリン」がいい。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次

 

・一冊の本を、はじめから最後まで読み通して、
 これだったら、「はじめに」の部分と
 第1章を読むだけでよかったんじゃないかと、
 思ったことはありませんか。
 ぼくはあります。
 特に新書なんかの場合は多いです。
 だからといって、「はじめに」と「第1章」だけでは、
 本という商品にならないのでしょうね。
 つまり、書籍という商品の場合、
 ある厚さがないと、人はお金を出してくれない。
 
 映画でも、15分くらいの長さでおもしろいという作品は、
 きっとつくれると思うのですが、
 やっぱりいまの時代だと90分以上ないと、
 商品として認めてもらえないでしょうね。
 15分の映画だったら、入場料300円だな、とかね。
 
 逆に、ネット上の表現なんかだと、
 どんどんどんどん短いものが要求されてきていている。
 昔だったら400字詰め原稿用紙がひとつの単位だったし、
 もっと簡便なもので200字詰めだった。
 しかし、いまおそらく400字は「長文注意」とか、
 妙なことを言われてしまいそうである。
 おそらくこの調子だと、20文字以内で
 あらゆることを語る「べき」だと言う人も出てきそうだ。
 一方で、上下巻の長編小説はベストセラーになってるが、
 「長過ぎる」と文句を言う人は見たことがない。
 いっそ、だれか言い出してもいいような気もするけど。

 時間にせよ、モノにせよ、量は「表現」である。
 とにかく「量感」があればいいという商品だってある。
 逆に、軽い小さいだけで勝負している商品だってある。
 それぞれの「表現」が、質とは別に、
 どんな「量」で受け容れられるのかを、
 送り手のほうは、真剣に考えなくてはならないだろう。

 指圧とかマッサージなんかも、気持ちよくて効くのなら、
 10分で同じ料金を払ってもかまわないとも思うけれど、
 現実のぼくは、うたた寝できるくらいの長い時間を、
 「あああ、もっともっと」と望んで横になっている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この『今日のダーリン』の文字量だって、どうなんだろう。
      

 

雨が強くなってきたのでさくら夙川まで歩く。

そういえばこのJRの駅名にもさくらがついているのをこの季節になると思い出す。

ソメイヨシノがちらほらと開花していた。

なにもこんな冷たい雨の日に咲かなくても、と不憫に思う。

 

雨なのに咲いちゃった。もってないわあ。

咲いたらさぶい。もってないわあ。

f:id:shioshiohida:20170331132526j:plain

 

明日からの編集に向け準備作業。

プロ野球も開幕した。

なんとか雨が上がった広島、スタジアムから見える山に雪が積もっていた。

ミルクホールからローマケン。

雨の中、JR西ノ宮駅から歩いて帰る。

 

2017/3/30 オオシマ咲く。

確定申告の還付金申請を終えて郵送する。

ここ数年は早めにしていたが今年は何故かずるずると手をつけられなかった。

遅くなった理由は特にない。

ひとつあるとすれば今年からマイナンバーを記入しなければならなくなった。

僕は派遣の給与と個人事業主の二種類の収入がある。

配偶者控除や基礎控除は派遣元で済んでいたら二重申請になってないかを確かめたかったのだ。

記録をたどると、2010年、2011年は4月までずれ込んでしまった。

せめて3月中にはと思い済ませた。

前年度比較で125万の減収。

この先、大きく増える期待は出来ない。

維持するために何をすべきか、支出を減らしていかに人生を楽しむか、これが命題だ。

 

f:id:shioshiohida:20170330141545j:plain

 

「ほぼ日」の日替わりコラム(?)の「今日のダーリン」は原則その日しか読めない。

アーカイブやバックナンバーはないのだ。

3月30日の「今日のダーリン」は心しておきたいのでコピペさせてもらった。

大事ですよね。

歳をとればとるほど「うまくいかなかったとき」の心配ばかりするようになる。

ダメだったときの記憶が深く刻まれているのだ。

「最高にうまくいったとき」のイメージ。

これはいい。

イメージ出来たその時点でシアワセだから。

最近、そういう想像をしてないことに気がついた。

・なにかを企画するとき、
 「最高にうまくいったらどんな感じになるの?」
 ということがちゃんとイメージできているか。
 これは、なにより大事なことだ。

 困難な山登りにたとえるなら、
 山頂でにっこり笑っている場面だけでなく、
 のちのちその写真を見ている家族の表情だとか、
 それまでの苦労を酒を飲みながら話しあってる状況とか、
 成功したあとの「うれしいイメージ」があるか、ないか。
 実際には、ただただ目の前の課題を解決していって、
 尺取り虫のように前に進むという姿になるかもしれない。
 しかし、その地味な作業を続けていったら、その先に
 どういう景色が見えてくるのかが見えてなきゃいけない。
 
 そして、まったくその逆に、
 「最もうまくいかなかったとき、どんな被害があるの?」
 ということについても、考えておく必要がある。
 こっちのほうは、イメージできなくてもいい。
 なにが失われるのか、どれくらい損失があるのか、
 痛手があるとしたらそれは回復可能な傷なのか、
 おもしろくもない数字や、ことばで、確認しておく。
 失敗は、ありえないことではないけれど、
 あったときに驚いて頭のなかがまっ白にならないこと。
 これだけは気をつけておく必要があるのだ。
 「失敗しても、この程度」という覚悟があれば、
 失敗について、いったん忘れていることができる。

 ほんとうは、「最高にうまくいったときのイメージ」が
 まだ浮かんでないというときには、
 その企画は、進めてはいけないのだとも思う。
 最低でも、そのことに関わった人たちの笑顔くらいは、
 盛大にイメージできていなくてはいけない。
 苦虫を噛みつぶしたような会議で、消去法で出した結論で
 「これは決定です」というようなプランでは、
 まだ始めてはいけないのだと、ぼくには思える。
 同時に、失敗が冷静に見積もれないままで、
 いくらでも怖い想像が湧いてくるようなときにも、
 進めるのをいったん休止するほうがいい。
 「ほぼ日」の企画は、基本的にそんなふうに決めている。

 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
 始める前に拍手の音が聞えている状態が、いいスタートだ。 

             (3/30「 今日のダーリン」より)

 

 最近、ジョギング中に聞いているAnly というシンガー。

彼女は沖縄の伊江島出身らしい。

このMVは伊江島で撮ったものだろう。

本部半島をサイクリングしたのは前世紀だった。

半島から特徴ある伊江島が見えた。

続きを読む

2017/3/29 姫路を歩く。

青春18きっぷで姫路へ行ってきました。

姫路駅が外国人観光客でいっぱい。

国際空港みたいで驚く。

駅を出ると正面に国宝&世界遺産がドーンです。

この明解さが姫路の魅力だと思う。

(クリックすると拡大します。大きな写真が臨場感をお楽しみ下さい。)

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shioshiohida/20170329/20170329143916_original.jpg

 

センバツはベスト8が出揃い、きょうが準々決勝4試合。

きれいになった姫路城を見ましょうと昼イチで出発する。

さくら夙川駅まで歩く。

オオシマザクラが二輪咲いていた。

続きを読む

2017/3/28 木蓮から桜へ

「ほぼ日」の永田泰大さんのツイートより。
 糸井重里もこの人は “スポーツまわりの名言” が多いと評価。
 最初のはWBCの準決勝でサード松田がファンブルした場面でしょう。
痛恨のエラー、を誰よりもわかっている松田本人が、
コンマ数秒で切り替えて一塁に投げてアウトをひとつ取る。
スポーツが実生活にいきるのは、こういうところだと思う。
切り替えていこう。

大きな国際大会特有の、「準決勝こそ決勝」感。

 

スポーツ以外ですが…。

誰かに知ってもらうことが力になる、ということだ。
『君が僕を知ってる』なんだ。
インターネットができるずっと前から、清志郎さんはそういうことを歌ってたんだ。

慌てて損したことは、ある。

素直で損したことは、ない。

「慌てるな。素直で行け。」

うん、たしかに、そうだと思います。

 「誰かに知ってもらうことが力になる。」

ということについて、まだ考えている。

ひょっとしたら、洞窟に牛の絵を描くことも、

印刷の機械が発明されたのも、そういうことだったのかもしれない。

なにかの返事がとてもうれしいことも、

子どもたちが何かをつくったときにかならず「見て見て」と言うことも。

 

永田さんの感受性と表現力にに嫉妬したのはこれを読んでから。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 福島の特別な夏。

 

晴れ、ときどき雨。

日差しは春だが空気はひんやりしている。

食卓にタケノコご飯、これも春。

f:id:shioshiohida:20170328120235j:plain


夙川公園を桜パトロール。

もう咲くよ、すぐに咲くからね、ちょっとだけ待っててね。

きょう咲くつもりだったけど…いざ咲こうとしたら…さぶ!

ソメイヨシノがそう Tweet してるようでした。

 

見つめられているような。

f:id:shioshiohida:20170328160324j:plain

 

続きを読む

2017/3/27 足踏みする春

きょうは休養を決めこむ。

幸い大腿部の筋肉痛くらい。

歳相応の疲労はあるけど5時間以上も走ったのだから仕方ない。

iMacで写真を整理したり、スケジューリングしたり、音楽を聴いたり。

収入は少ないけどセミリタイアみたいな生活。

健康でありさえすれば不満はない。

うっかり長生きしたら、それはそれで困るかもしれないけど。

 

夕方、散歩した。

散歩から帰って黄昏の六甲を撮った。

空の高いところを二羽の鳥が映っていた。
(写真をクリックすると拡大します)

翼をひろげた大型の鳥だ。

鶴か、雁か、それとも白鳥か。

つがい(夫婦)だろうか。

調べると、つがいで飛ぶのはコハクチョウか鶴みたいだ。

東へ向かって飛んでいる。

越冬地から夏を過ごす土地への旅の途中なのだろう。

足踏みしながらもうすぐ春ですね。

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shioshiohida/20170327/20170327174718_original.jpg?1490627900

(クリックするとオリジナルサイズに拡大します)

 

僕が留守の間にヒロがベッドの部屋を整理した。

ベッドの部屋とは物置にしている四畳半ほどの窓際の部屋。

僕が独身時代に使っていたセミダブルのベッドをしばらく置いていたのでそう呼んでいる。

日用品や水、食糧のストック、キャンプ用品、写真(プリントしたもの)、コミック、

ばあばあの遺品の桐箪笥、扇風機(夏になればストーブ)などを置いている。

続きを読む